映画「エクスペンダブル・レディズ」は2014年、クリストファー・レイ監督、クリスタナ・ローケン主演の作品です。
この「エクスペンダブル・レディズ」のネタバレやあらすじ、最後ラストの結末とその考察について紹介します。
以下、重大なネタバレや個人的な考察を含みますので、まだ鑑賞していない方はご注意ください。
映画「エクスペンダブル・レディズ」あらすじ
カザフスタン。中央アジアのその国で、ある日とんでもない事件が起きます。
視察のために現地を訪れていたアメリカ大統領の娘・エリーズ(ティファニー・パンヒラソン)が、何者かに拉致されてしまったのです。
犯人の正体は、ウルリカ(ブリジット・ニールセン)という女性の武装勢力のリーダーでした。
彼女は元ソ連の刑務所「ザ・シタデル」と呼ばれる要塞を根城にして、大統領の娘を人質にとり、アメリカに要求を突きつけてきたのです。
アメリカ政府は困り果てます。軍を大規模に動かせば、人質の命が危ない。交渉では、相手の思うつぼ。
そこでCIAエージェントのモナ・ケンドール(シンシア・ローズロック)が考えた作戦は、「普通の軍では無理なら、普通じゃない人間を使えばいい」というものでした。
モナが集めたのは、アメリカの刑務所に服役中の4人の女性たちです。
「作戦に協力すれば、全員の刑を免除する」——そういう条件で集められた、わけあり女性特殊部隊でした。
4人の顔ぶれはこうです。
元海兵隊の狙撃手・キャット・モーガン(クリスタナ・ローケン)。元CIA工作員のドナ「レイヴン」・ラヴェナ(ヴィヴィカ・A・フォックス)。元デルタフォース隊員のカサンドラ・クレイ(ゾーイ・ベル)。爆発物の専門家でパイロットのメイ・リン・フォン(ニコル・ビルダーバック)。
4人はバラバラな背景を持ち、互いをまったく信頼していません。でも「自由になる」という一点だけで、この無謀な作戦に乗ることにします。
舞台は人質が閉じ込められた女性専用の刑務所要塞。
そこへ女4人が乗り込む——「ザ・エクスペンダブルズ」の女性版として話題を呼んだ、B級アクションの問題作です。
映画「エクスペンダブル・レディズ」ネタバレ
以下、重大なネタバレを含みます。
4人は、本当にバラバラだった
チームとしての「まとまり」が、この映画に存在するかどうか、正直微妙なところです。
キャットは冷静で計算高い。レイヴンは派手で口が達者。カサンドラは戦闘力が高く荒削り。メイ・リンは技術屋で黙々と仕事をする——4人の性格はまったく噛み合いません。
「チームワークとは何か」を教えてくれる映画はたくさんあります。でもこの映画は少し違いました。4人は最後まで「完全に心を開く」ことをしません。
それぞれが「自分の自由のために」動いているだけで、だからこそ却って「リアルな傭兵集団」に見えてくる、という不思議な魅力がありました。
ウルリカという悪役の圧倒的な存在感
この映画で唯一、全員が認める「本物のスター」がいます。
ブリジット・ニールセンが演じる悪役・ウルリカです。
背が高く、威圧感があり、笑い方ひとつで画面を支配する。「80年代にシュワルツェネッガーやスタローンと共演してきた女優」というオーラが、セリフの一言一言ににじみ出ていました。
予算も低く、脚本も荒削りな映画の中で、ウルリカだけが「ちゃんとした映画の悪役」として輝いていました。
裏切り者の存在
作戦はある程度うまく進み、大統領の娘を救出することに成功しますが、脱出の直前、チームの中の一人が仲間に牙をむきます。
「自由」という報酬をめぐって、チームの絆よりも個人の利益を選んだ人間がいた。
この裏切りの展開は、この映画が「単純なヒーロー映画」ではなく、あくまで「傭兵の映画」であることを改めて見せてくれます。
「友情のために戦う」のではなく、「自分の利益のために戦う」——それが傭兵というものの本質であり、この映画はその部分に妙なリアリティを持っていました。
シンシア・ローズロックの扱いという、ファンへの残酷な仕打ち
CIAエージェントのモナ役で登場するシンシア・ローズロック。
80年代から90年代にかけて「女性アクション映画の女王」として知られた彼女は、この映画において……ほとんど戦いません。
司令官として指示を出すだけ、という役回りに徹しており、彼女のアクションシーンをひとつも見られないまま映画は終わります。
「あのシンシア・ローズロックが見られる!」と期待していたファンにとっては、これが最大の誤算でした。
映画「エクスペンダブル・レディズ」ラスト最後の結末
要塞の中での銃撃戦、格闘戦、爆発——4人はそれぞれの特技を使って敵を倒していきます。
キャットの狙撃が敵を遠距離から仕留め、カサンドラの格闘術が近接戦を制し、レイヴンの派手な立ち回りが笑いと興奮を同時に生み出し、メイ・リンの爆発物が要塞の壁をぶち抜きます。
チームの裏切りを乗り越えた後、最終的に大統領の娘は無事に救出されます。
そして圧倒的な存在感を放ち続けたウルリカは、最後の対決でキャットによって倒されます。
4人は約束通り、刑の免除を受けます。
「自由と引き換えに命をかけた」という取引は、一応果たされました。
映画はそこで静かに幕を閉じます——「次の作戦があればまた頼む」という雰囲気を漂わせながら。
しかし続編は作られませんでした。ウルリカが死んでしまった以上、最大の魅力が消えてしまったとも言えます。
映画「エクスペンダブル・レディズ」の考察
この映画を「安っぽいB級アクション」として見ると、「予算が少なくて、脚本が雑で、全体的に完成度が低い映画」という評価で終わります。
実際、批評家からの評価は厳しいものでした。
でも私はこの映画に「映画の本質とは何か」についての、非常に正直な答えが隠されていると思っています。
この映画は「男性版の女性コピー」ではなく、「コピーが本物に勝てない理由の実験」だった
この映画は、エクスペンダブルズシリーズの「モックバスター」として作られました。
モックバスターとは、有名映画の人気に乗っかって、似た内容の低予算映画を作る手法のことです。
「エクスペンダブルズ」は、シュワルツェネッガー、スタローン、ジェット・リー、ジェイソン・ステイサム——80年代から活躍してきた男性アクションスターたちが集まった映画でした。
それを「女性版でやろう」というのが、この映画の出発点です。
しかしここに、非常に興味深い「実験」が生まれました。
「同じ構造で作っても、同じようには機能しない」——なぜか。
それは、「エクスペンダブルズの本当の価値が、スターの数ではなく、スターが持つ『文化的な記憶』にあったから」です。
シュワルツェネッガーが画面に出てくると、観客は「ターミネーター」を思い出します。スタローンが出てくると「ロッキー」「ランボー」が蘇ります。スターを見た瞬間に、その人が出てきた過去の映画の感動まで一緒に呼び起こされる——これが、エクスペンダブルズが持っていた本当の力でした。
この映画のキャストは、確かに才能のある女優たちです。でも「スクリーンに映った瞬間に、観客の記憶を呼び起こす力」という点では、男性版には届かなかった。
これは女優たちの実力の問題ではありません。
「ハリウッドが、女性アクションスターを男性と同じように育ててこなかった」という、映画産業の構造そのものの問題でした。
ブリジット・ニールセンだけが輝いていた理由
この映画の中で、ひとりだけ「本物のスターオーラ」を放っていた人物がいます。悪役のウルリカを演じたブリジット・ニールセンです。
なぜ彼女だけが輝いていたのか——それは「観客の記憶を呼び起こせた唯一の人物だったから」です。
ブリジット・ニールセンは、80年代にスタローンの「コブラ」やシュワルツェネッガーの「レッドソニア」で悪役を演じてきた女優です。
「あの時代の大スターたちと戦った女」という記憶が、観客の中に生きていました。
彼女がウルリカとして笑った瞬間、観客は「ああ、あの頃の映画の悪役だ」と感じます。
その感覚は、予算や脚本の良し悪しとは関係のない、女優の「生きた歴史」が生み出すものでした。
「スターとは、映画の外で積み上げてきたものを、スクリーンに持ち込める人間のことだ」——ブリジット・ニールセンは、この映画でそれを証明していました。
「シンシア・ローズロックをほとんど動かさなかった」という、致命的なもったいなさ
この映画最大の謎は、「なぜシンシア・ローズロックにアクションをさせなかったのか」という点です。
シンシア・ローズロックは、80年代から90年代にかけて「女性カンフーアクションの女王」として世界中にファンがいる女優です。
彼女の名前を見てこの映画を手に取ったファンは、世界に無数にいました。
しかし映画の中でシンシア・ローズロックは、指示を出すだけの「司令官役」に徹しており、一度も戦いません。
「なぜ戦わせなかったのか」——これは単純なミスではないと私は思っています。
これはむしろ、「この映画が持つ、女性アクションスターへの無理解の象徴」でした。
シンシア・ローズロックというスターの価値は「体を動かすこと」「戦うこと」そのものにあります。
それを「司令官として座らせる」ことは、「ピカソを雇って、名前だけ作品に入れさせて、実際には絵を描かせなかった」ことと同じです。
「スターの価値を正しく理解して使えなかった映画」——この点において、エクスペンダブル・レディズは、エクスペンダブルズと根本的に違いました。
エクスペンダブルズは、スターたちの「本来の持ち味」を最大限に活かしました。
しかしこの映画は、持っている宝の使い方を間違えました。
「4人が最後まで本当の仲間にならなかった」ことの、意外な正直さ
エクスペンダブルズは「最後にみんなが仲間になって悪を倒す」映画です。「友情と絆」がテーマの一つでした。
しかしこの映画の4人は、最後まで「完全な仲間」にはなりません。それぞれが自分の利益のために動き、チームの中に裏切り者まで出ます。
普通のアクション映画として見ると、これは「脚本の失敗」です。
でも私はここに、「傭兵映画」として見たときの、奇妙なリアリティがあると思っています。
「お金のために戦う人間が、感動的な友情を育む」——これは本来、矛盾しています。
エクスペンダブルズはその矛盾を「なんとなく感動的に」まとめましたが、この映画は、その矛盾を「そのまま放置した」のです。
「傭兵とは、お金のために戦う人間だ。だから最後まで友情より利益を優先する」——これは映画的には失敗ですが、「傭兵という存在への正直な視点」としては、意外に誠実でした。
結論:「エクスペンダブル・レディズ」は「女性アクションスターが、男性と同じようには扱われてこなかった現実を、映画そのものが体現してしまった」作品だった
この映画の問題の本質は、「予算が少なかった」ことでも「脚本が弱かった」ことでもありませんでした。
「女性アクションスターを集めたのに、彼女たちが積み上げてきた歴史と実力を、正しく使えなかった」——これが最大の問題でした。
シンシア・ローズロックを座らせたまま映画を終わらせる。ゾーイ・ベルのスタント能力を半分しか活かさない。ブリジット・ニールセンだけが「自分のキャリアの記憶を正しく使えた」唯一の存在として輝く——。
このアンバランスさは、ハリウッドが長年、女性アクションスターを男性と同じように育て、宣伝し、価値を認めてこなかったことの、小さな鏡でもありました。
「女性版エクスペンダブルズ」を作るなら、本当に必要だったのは「女性版の予算」と「女性版の脚本家の熱量」でした。
形だけコピーしても、中身まではコピーできません。
エクスペンダブル・レディズは、「なぜ女性版が同じように機能しないのか」という問いへの答えを、計らずも映画そのもので証明してしまった珍しい作品でした。
評価:★★☆☆☆(2.0/5.0)
「この映画が惜しいのは、出演者たちの実力ではない。彼女たちが積み上げてきた歴史を、映画が正しく信頼しなかったことだ——ブリジット・ニールセンがひとりで画面を支配できたのは、彼女の過去が映画より豊かだったからだ。スターを使う映画は、まずスターの歴史を尊重することから始めなければならない。」
こちらもB級アクション映画です。

みんなの感想