映画「必殺!THE HISSATSU」ネタバレ!ラスト最後の結末とその考察

アクション

映画「必殺!THE HISSATSU」は1984年、貞永方久監督、藤田まこと主演の作品です。

この「必殺!THE HISSATSU」のネタバレやあらすじ、最後ラストの結末とその考察について紹介します。

以下、重大なネタバレや個人的な考察を含みますので、まだ鑑賞していない方はご注意ください。

 

映画「必殺!THE HISSATSU」あらすじ

江戸の町に、奇妙な噂が広がり始めました。
あちこちで、身元不明の死体が見つかっています。

しかも、その死体の口にはすべて「六文銭」がくわえられていました。六文銭とは、三途の川を渡るための「あの世への渡し賃」です。

その死体たちが、仕事人の成れの果てだと見抜いた中村主水(藤田まこと)は、仲間たちに警告を発します。

中村主水は、昼間は奉行所の同心として働く、どこにでもいる冴えない役人です。姑のせんと嫁のりつに頭が上がらず、いつもぼーっとした顔をしています。しかしその裏の顔は、金をもらって悪人を始末する「仕事人」でした。

そんな主水の前に、ひとつの依頼が持ち込まれます。

隠し売女(かくしばいじょ)のお君が、出会い茶屋の主・伝次を殺してほしいというのです。しかし依頼の理由が「伝次に愛猫を投げ殺された」というものだったため仲間たちは断ります。

ところが、その直後にお君は何者かに殺されてしまいます。

お君は、伝次と謎の男・庄兵衛の密談を聞いてしまっていたのです。

庄兵衛を頭とする六文銭一味は、江戸の仕事人をすべて抹殺しようという恐ろしい計画を進めていました。

仕事人たちは次々と殺されていきます。

追い詰められた主水たちは、助っ人を探し始めます——こうして江戸の闇を舞台にした、かつてない大激闘が幕を開けます。

 

映画「必殺!THE HISSATSU」ネタバレ

以下、重大なネタバレを含みます。

姑と嫁の名前に隠された洒落

この映画、実はタイトルより先に「遊び心」が仕込まれています。

主水を日々苦しめる姑の名前は「せん」、嫁の名前は「りつ」。二人合わせると「せんりつ」——「戦慄」です。

主水にとって、本当の恐怖は六文銭一味ではなく、自分の家族だった、というわけです。

こういう小粋な遊び心が、必殺シリーズの魅力のひとつでした。

次々と倒れていく江戸の仕事人たち

山王祭の日、柳橋のお甲を中心とする仕事人たちが、主水たちの目の前で奇妙な御輿を担ぐ黒衣の集団に次々と殺されていきます。

唯一生き残ったのは、瓦職人の政(芦屋雁之助)だけでした。

「自分たちが狙われている」という事実が明らかになるこの場面は、いつもは頼もしい仕事人たちが、一転して「追われる側」になるという、シリーズ史上でも珍しい緊張感に満ちたシーンです。

助っ人たちの珍道中

助っ人を探す仕事人たちのもとに集まってきたのが、赤塚不二夫が演じる「霞の半吉」、たこ八郎が演じる「キツツキの吾平」など、個性豊かすぎる仕事人たちでした。

半吉はキツツキに毒を塗って標的を突かせるという技を持っていましたが、「そのキツツキが死んでしまって、次を調教するのに半年かかる」と言って脱落。

吾平は耳かき屋という顔を持ち、「耳かきに仕込んだ針で35人を仕留めた」と紹介されましたが、あくまで「耳かき中」の殺しなので戦闘には使えないと却下されます。

この助っ人集めのくだりは笑いに満ちていますが、その裏では六文銭一味の魔手が確実に迫っていました。

黒幕・庄兵衛の正体

上州へ調査に向かったおりく(山田五十鈴)が突き止めた黒幕・庄兵衛は、かつておりくに師事していた仕事人でした。

長年、裏稼業に生きすぎたことで感情が消え、冷酷な殺し屋へと変わり果てた男——庄兵衛は、裏稼業を自分たちが独占するために、江戸の仕事人を根こそぎ消そうとしていたのです。

しかも庄兵衛には、顔そっくりの影武者が何人もいました。

「どれが本物かわからない」という、正攻法では太刀打ちできない恐ろしい敵でした。

 

映画「必殺!THE HISSATSU」ラスト最後の結末

助っ人として参加したのは、人形遣いとして江戸で人気を集める此竹朝之助(片岡孝夫=現・片岡仁左衛門)。

その正体は「蝶々の朝吉」という仕事人で、扇子に鋭い刃を仕込み、蝶の形に切った白い紙吹雪を舞わせながら、華麗な足さばきで急所を一刺しにする、幻想的な殺し技を持つ一匹狼でした。

最終決戦。
主水、秀、勇次、加代、政・およね夫婦、そして朝之助——それぞれが己の技をもって六文銭一味に挑みます。

勇次は三味線の糸だけで敵を仕留め、政は瓦をブーメランのように投げながら戦い、奥方のおよねが瓦を補給し続けます。

加代は爆発物で敵を吹き飛ばし、主水は剣技で次々と斬り伏せます。

そして激闘の末、庄兵衛も倒されます。

しかしここで映画は、とびきり粋な「最後の一手」を見せます。

騒ぎを聞きつけた奉行所の役人たちが、現場に押し寄せてきたのです。

仕事人たちは逃げ場を失います——そこで主水がひそかに用意していたのが、鋼鉄でできた「潜水艇」でした。

江戸の川をくぐり抜け、仕事人たちは静かに姿を消します。

「ありえない!」と笑いながらも、どこか爽快感が残るこのラスト——必殺シリーズの「様式美」と「バカバカしいほどの遊び心」が、最高の形で合わさった瞬間でした。

 

映画「必殺!THE HISSATSU」の考察

この映画を「江戸のヒーローたちが悪を倒す娯楽時代劇」として見ると、スカッとして終わります。

でも私はこの映画の中に、現代社会にも通じる、非常に深いメッセージが隠されていると思っています。

「六文銭」という小道具が示す、この映画の本当のテーマ

死体の口にくわえられた六文銭——これは「三途の川の渡し賃」です。

なぜ敵は、わざわざ死体に六文銭をくわえさせるのか。「殺したよ」という証拠を残すだけなら、くわえさせる必要はありません。

私はこれを「あの世へ送ってやった、という嘲りではなく、むしろ敵からのメッセージだった」と読みます。

「お前たちも、いずれ同じ場所へ行くことになる」——六文銭は、主水たちへの宣戦布告であり、「仕事人という生き方を続ける限り、誰もがこうなる」という、残酷な現実の突きつけでもありました。

裏稼業に生きる者は、どこかで必ず「それ相応の終わり」を迎える——この冷たい事実が、映画の最初から最後まで、静かに画面を流れ続けています。

「庄兵衛はなぜ悪役になったのか」という、最も怖い問い

この映画の黒幕・庄兵衛は、かつておりくの弟子でした。つまり、もとは主水たちと同じ「仕事人」だったのです。

「なぜ同じ出発点の人間が、あれほど冷酷になれたのか」——これが、この映画で最も深く考えるべき問いです。

庄兵衛の答えは、映画の中に静かに示されています。

「裏稼業にいすぎた事で、感情が失われた」のです。

「人を殺す仕事を長くやりすぎると、人を殺すことが普通になる」——これは庄兵衛だけの話ではありません。どんな仕事でも、どんな生き方でも、「それに慣れすぎること」の怖さが、ここに込められています。

主水と庄兵衛の違いは、「才能」でも「強さ」でもありませんでした。主水には、せんとりつがいた。うるさい姑と意地悪な嫁——ぐちぐち言われ続ける日常があった。

「日常の煩わしさが、人間を人間のまま保つ」——庄兵衛にはその煩わしさがなかった。だから感情が死んだのです。

主水の「情けない日常」は、彼を仕事人として完璧にしなかった代わりに、人間として壊れることから守っていました。

「助っ人たちが全員使いものにならない」というシーンの、本当の意味

キツツキが死んでいて使えない。耳かきの技は戦闘向きじゃない。酔っ払いと喧嘩して死んでしまう——。

集めた助っ人たちが次々と「使えない」ことが判明していくシーンは、コメディとして笑えます。

でもここには、もっと大切なことが隠されています。

「どんな強力な武器も、使う状況が違えば意味がない」という事実です。

35人を耳かきで仕留めた男の技は、本物の戦場では通用しない。どんなに優れた能力も、それが機能する「場所と状況」が違えば、ただの無力になります。

そしてこれは、仕事人の話だけではありません。

「自分の強みが、すべての場面で通用するとは限らない」——私たちが日々感じている、あの歯がゆさと同じものが、ここに描かれているのです。

「潜水艇で逃げる」というラストが、実は最も正直な答えだった

江戸時代に潜水艇。ありえない。おかしい。笑える——。

でも私はこのラストを「バカバカしいギャグ」としてだけ受け取るのは、もったいないと思っています。

仕事人たちは、奉行所に追われています。つまり、「法の側」から追われているのです。

悪を倒したはずなのに、倒した人間が「犯罪者」として追われる——この矛盾を、映画はずっと抱えてきました。

「法律が守ってくれない人たちのために、法律の外で動く仕事人」というシリーズ全体の根本的な矛盾です。

その矛盾に対して、この映画が出した答えが「潜水艇で逃げる」でした。

「法の網をくぐって、水の中に隠れる」——これは字義通りの意味でもありますが、「システムの外側に逃げ込む」という仕事人たちの生き方そのものの、最高にユーモラスな表現でもありました。

「正義は、正式な場所では売っていない。だから正義を届けた人間は、正式な場所から逃げ続けるしかない」——このやるせない真実を、必殺シリーズは600回かけて描き続け、この映画はその答えを「潜水艇」というとびきり笑える形で見せてくれたのです。

結論:「必殺!THE HISSATSU」は「正義を届ける人間は、なぜいつも報われないのか」という映画だった

主水たちは悪を倒しました。江戸の人々を守りました。しかし誰にも褒められず、表彰もされず、翌日もせんとりつに怒鳴られながら、いつもの冴えない日常に戻っていきます。

「正義を行った人間への報酬がない」——これが必殺シリーズが40年以上愛され続けてきた、最大の理由だと私は思っています。

ヒーローは普通、最後に褒められます。しかし仕事人は、褒められるどころか、役人に追われて潜水艇で逃げます。

それでも次の回もまた、誰かの依頼を受けて、誰かのために動きます。

「報われないとわかっていても、それをやめない人間がいる」——仕事人というキャラクターへの共感の正体は、そこにあるのかもしれません。

私たちの周りにも、静かに、誰にも気づかれず、報われることなく「誰かのために動いている人間」がいます。

必殺シリーズは、そういう人たちへの、長い長い「敬意」だったのではないでしょうか。

 
評価:★★★★☆(4.0/5.0)
「庄兵衛と主水の違いは、強さではなかった——日常の煩わしさが、主水を人間のまま守り続けた。せんとりつに毎日怒鳴られる情けない暮らしこそが、彼を壊れさせなかった盾だったのだ。必殺シリーズが600回続いた理由は、主水が強かったからではなく、主水が弱いまま、それでも動き続けたからだと思う。」

みんなの感想

テキストのコピーはできません。