映画「プロフェッショナル」ネタバレ!ラスト最後の結末とその考察

アクション

映画「プロフェッショナル」は1981年、ジョルジュ・ロートネル監督、ジャン=ポール・ベルモンド主演の作品です。

この「プロフェッショナル」のネタバレやあらすじ、最後ラストの結末とその考察について紹介します。

以下、重大なネタバレや個人的な考察を含みますので、まだ鑑賞していない方はご注意ください。

 

映画「プロフェッショナル」あらすじ

元フランス軍のエリートで現在は諜報部員として活動するジョスラン・ボーモント(ジャン=ポール・ベルモンド)は、アフリカのマラガウィ共和国の独裁者ナジャラ大佐を暗殺するため現地に潜入します。

しかし暗殺決行の直前に政治的状況が変化し、ナジャラは大統領に就任。

作戦はボーモントの知らないところで中止となってしまいます。

計画をリークされ捕らえられたボーモントは、麻薬売買の濡れ衣で長期刑を言い渡され、過酷な強制労働と拷問を受けることに。

しかしボーモントは並の人間ではありませんでした。

過酷な強制労働や拷問を受けながらも、ついに脱出に成功。

国家に裏切られた男は、復讐心を胸にフランスへ舞い戻って来ます。

パリに帰ってきたボーモントが狙うのは、自分を売った組織の上官たち——そして「今は大統領になったナジャラ」という、当初の任務の標的です。

フランス警察と諜報機関が総力を挙げて彼を追いかける中、ボーモントは飄々と元妻の家や元恋人の家に顔を出し、追っ手を翻弄し続けます。

 

映画「プロフェッショナル」ネタバレ

以下、重大なネタバレを含みます。

「完璧な男」が仕掛ける、知恵の戦争

警察や諜報機関総出でボーモントに立ち向かいますが、彼は常に一歩二歩先を行きます。

力で押し返すのではなく、相手の動きを読み切って先手を打ち続ける——彼の戦い方は「筋肉のアクション」ではなく「頭脳のアクション」です。

追いかける側がどれだけエリートでも、ボーモントには長年叩き込まれた「プロとしての嗅覚」があります。

彼を追う担当刑事ロザン(ロベール・オッセン)は有能な男で、少しずつボーモントに迫っていきます。

しかしロザンは不思議なことに気づき始めます——ボーモントはいつでも自分を殺せるはずなのに、なぜか殺さない。

なぜか? それはボーモントにとって、刑事は「敵」ではなく「舞台の観客」だからです。

「任務の完遂」という男の美学

ボーモントが最終的に向かうのは、フランスを公式訪問することになったナジャラ大統領です。

外交上の問題、警備の壁、追いかけるフランス警察——あらゆる障害が重なる中で、ボーモントは自分が2年前に命じられた「仕事」を、今こそ完遂しようとします。

それは復讐でしょうか。

それとも「プロとしての誇り」でしょうか。

この映画が面白いのは、その動機がはっきりと語られないことです。

ボーモントは一切の感情的な台詞を語らないまま、ただ静かに、粛々と「仕事」を進めていきます。

ロザンとボーモント——追う者と追われる者の奇妙な「敬意」

物語が進む中で、追うロザンと追われるボーモントの間には、奇妙な「相互理解」が生まれていきます。

ロザンはボーモントの行動原理を理解し始め、「この男は本当に危険な悪人ではない」と感じ始めます。

しかしそれでも彼は「仕事」として追い続けます。

二人はある意味で、鏡を挟んで向き合う同じ種類の人間です——国家に命じられた仕事を、感情を抑えてただ遂行するという点で。

 

映画「プロフェッショナル」ラスト最後の結末

ボーモントはついにナジャラ大統領の暗殺を成功させます。

しかし2年前に失われた時間は戻らず、裏切った者たちへの清算も完全ではありません。

意外な結末——と多くの観客が評するラストシーンが待っています。

任務を完遂した直後、ボーモントは「背を向けて歩く」という、プロとして決してやってはいけない行動をあえて取ります。

「ミッションは遂行した、後は『国』が決めろ」——時間通りに発ったヘリコプター上空からの映像、人々がボーモントの周りに集まってくる。

モリコーネの「Chi Mai」が静かに流れる中、一人の男が倒れていきます。

ボーモントは報酬も逃亡もなく、ただ「仕事を終えた男」として、その場に静かに横たわります。

復讐を果たしたのか。

任務を完遂したのか。

それとも、もうこれ以上生きることに意味を見出せなくなったのか——答えは語られないまま、「Chi Mai(私だけが)」という曲名の哀愁が、エンドロールに溶けていきます。

 

映画「プロフェッショナル」の考察

本作はフィルマークスで平均3.7という、根強いファンに支えられた評価を受けています。

ジェイソン・ボーンシリーズより20年以上前に、「国家に裏切られた工作員が孤独に戦う」という物語を完璧な形で作り上げた本作——しかし私がこの映画を見て最も深く考えさせられたのは、アクションでもサスペンスでもなく、「プロフェッショナルとは何か」という問いそのものです。

プロ」とは何かを、この映画は逆側から定義している

私たちは「プロフェッショナル」という言葉を、ほめ言葉として使います。

「あの人はプロだ」「プロの仕事だ」——それは「完璧に、感情を抜きにして、任務を遂行できる人間」という意味です。

しかしこの映画は、その「プロ」という言葉の恐ろしい裏面を見せます。

ボーモントは完璧なプロです。

感情を見せず、不平を言わず、ただ任務を遂行します。

しかしその「プロ」であることが、彼から何を奪ったか考えてみてください。

家族との時間、安全な日常、感情を表現する自由、そして最終的には「生きること」への執着まで——彼は「プロ」であり続けるために、人間として生きるために必要なものをすべて削り落としてきたのです。

「完璧なプロフェッショナルとは、人間をやめた人間である」——この映画はその恐ろしい結論を、ベルモンドの飄々とした笑顔の奥に隠して見せます。

国家とは「最大の詐欺師」である、という宣言

本作が公開された1981年は、冷戦のただ中でした。

東西の諜報活動が世界を覆い、スパイ映画が全盛期を迎えていた時代です。

しかしこの映画はスパイ映画の「かっこいい側面」を描きません。

代わりに描くのは——国家がいかに平然と、自国の人間を使い捨てにするかという、冷たい現実です。

ボーモントはフランスの命令で動き、フランスの都合で切り捨てられ、フランスの警察に追われます。

「国家のために戦う」と言いながら、その国家は一度も彼のために戦いませんでした。

これは1981年のフランスだけの話でしょうか。

いいえ。

現代のどの国でも、組織でも、会社でも同じことは起きています。

「会社のために働け」と言いながら、都合が悪くなれば切り捨てる——ボーモントが経験したことの縮小版を、私たちの多くは日常のどこかで経験しているのではないでしょうか。

「プロフェッショナル」というタイトルは、主人公への賛辞ではなく、「プロを使い潰すシステムへの皮肉」として読むべきタイトルだった——そう気づいたとき、この映画はまったく違う映画として見えてきます。

「Chi Mai(私だけが)」という曲名が持つ、完璧すぎる意味

本作のテーマ曲「Chi Mai」の曲名を日本語に直訳すると「私だけが」という意味です。

「私だけが知っている」「私だけが戦ってきた」「私だけが裏切られた」——この曲名は、ボーモントという人物の孤独をそのまま言葉にしています。

国家機密の任務を遂行した事実を、公式には誰も認めない。

戦った記録は残らない。

裏切られた事実も、「なかったこと」にされる。

結果として、この男は「何もしていない人間」として歴史から消えていきます。

「プロフェッショナルであることの最大のコスト——それは、自分の人生の証人が、自分一人しかいなくなること」です。

「Chi Mai(私だけが)」という曲名は、その孤独を音楽で表現しています。

だからこそ、この曲はただのアクション映画のBGMを超えて、聴く人の胸の奥に刺さるのです。

ボーモントが最後に「背を向けて歩く」理由

ラストシーンでボーモントは「背を向けて歩く」というプロとして失格の行動を、あえて取ります。

これはなぜか。

多くの観客はこれを「死を受け入れた」と解釈します。

しかし私は少し違う読み方をしたいと思います。

「背を向けて歩くこと」は、ボーモントが初めて「プロ」をやめた瞬間だったのではないか、と。

2年間の拷問と収監、そして長い復讐の旅の中で、彼はずっと「プロ」であり続けました。

感情を出さない、隙を見せない、常に先を読む——それが彼の生き方でした。

しかし任務を終えた瞬間、彼は「もうプロである必要がない」と気づいたのかもしれません。

「プロ」の鎧を脱ぎ捨てて、ただの人間として最後の数歩を歩いた——その「無防備な背中」こそが、鉄壁だった男の、生まれて初めての「本当の姿」だったのです。

結論:「孤独な仕事師」の映画は、なぜいつの時代も刺さるのか

本作を評したレビュアーが「なぜ日本公開されなかったのだろう。てぐらい面白かった」と書いています。

その言葉に、私は深く同意します。

そしてその「面白さ」の根っこを辿ると、ひとつの普遍的な感情に行き着きます——「誰にも認められないまま、頑張り続けた経験」です。

努力しても評価されない、正しいことをしても報われない、真剣にやればやるほど孤立していく——これは現代社会で生きる多くの人が、程度の差はあれど経験していることです。

ボーモントはその極端な体現者です。

だからこそ彼に感情移入できる。

だからこそ「Chi Mai」のメロディが胸に刺さる。

だからこそ、この古いフランス映画が今も語り継がれているのです。

「プロフェッショナル」——その言葉を聞くたびに、モリコーネの哀愁のメロディとともに、一人の男の背中を思い出してください。

誰にも評価されないまま、振り返ることなく歩き続けた、その背中を。

そしてもし今、あなた自身が誰にも認められないまま何かを続けているなら——ボーモントのその背中は、あなたへの最大の「連帯の表明」かもしれません。

 
評価:★★★★☆(4.0/5.0)
「完璧なプロフェッショナルとは人間をやめた人間である——その哀しい真実を、ベルモンドは笑顔の奥に隠してスクリーンを歩き続ける。」

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