映画「フォードVSフェラーリ」は、 マット・デイモン、クリスチャン・ベール主演、ジェームズ・マンゴールド監督の2019年の映画です。
この映画「フォードVSフェラーリ」のネタバレ、あらすじや最後のラスト結末、見どころを紹介します。
レースでフェラーリに勝て!このミッションに挑む男達を描く「フォードVSフェラーリ」をお楽しみください。
これで「フォードVSフェラーリ」のすべてがわかります。
「フォードVSフェラーリ」キャスト・スタッフ
■ スタッフ
監督: ジェームズ・マンゴールド
脚本: ジェズ・バターワース他
制作: ピーター・チャーニン他
製作総指揮: ダニ・バーンフェルド他
音楽: マルコ・ベルトラミ他
撮影: フェドン・パパマイケル■ 主要キャスト
キャロル・シェルビー:マット・デイモン
ケン・マイルズ:クリスチャン・ベール
リー・アイアコッカ: ジョン・バーンサル
モリー・マイルズ:カトリーナ・バルフ
ヘンリー・フォード2世:トレイシー・レッツ
レオ・ビーブ:ジョシュ・ルーカス
ピーター・マイルズ:ノア・ジュープ
エンツォ・フェラーリ:レモ・ジローネ
フィル・レミントン:レイ・マッキノン
「フォードVSフェラーリ」あらすじ
1966年、当時カーレース界で最強のフェラーリ。
エンジニアのキャロル・シェルビー(マット・デイモン)はフォード・モーター社からル・マンでの勝利を命じられる。
フェラーリに勝つためには、フェラーリを超える新しい車の開発と優秀なドライバーが必要だった。
シェルビーは、破天荒なイギリス人レーサー、ケン・マイルズ(クリスチャン・ベイル)とともに打倒フェラーリを目指す。
資金も時間もないふたりでしたが、ついにル・マン24時間耐久レースで長年絶対王者として君臨しているエンツォ・フェラーリ率いるフェラーリ社に挑戦することになるのだが・・・
「フォードVSフェラーリ」ネタバレ
1950年代後半、ある自動車修理工場の前で修理工ケン・マイルズ(クリスチャン・ベイル) と客が言い争いをしていました。
客はアストン・マーティンの調子が悪いと工場に持ち込んだのですが、修理工から「大切に乗り過ぎだ。スピードを出さないと、この車は息切れしてしまうんだ」と注意されて頭にきてしまったのです。
結局、客は自分の車に乗って走り去ってしまいました。
同じ頃、キャロル・シェルビー(マット・デイモン)はレース場にいました。
シェルビーは、敏腕レーサーとして名前を馳せていましたが、心臓の異常が判明して引退を余儀なく迫られました。
しかし、その後はカー・デザイナーとして再出発しスポーツ・カー製造会社シェルビー・アメリカンを設立して社長を務めていました。
車の売込みがてら出場レーサーの様子を見ていたシェルビーは、トランクの容量が規定よりわずかに少ない為に出場停止となり、検査員に食って掛かっているレーサーに目を止めました。
検査員の決定に納得できず、ハンマーでトランクの内壁を叩いてベコベコにしているレーサーこそマイルズでした。
シェルビーもそこに割って入って取りなしますが、マイルズは聞き入れません。
逆に気持ちを逆なでしてしまい、レンチを投げつけられる始末でした。
結局、検査員のあきれ顔も気にしないでマイルズはレースに出場します。
そして、レースの流れを読む能力と果敢な追い抜きを駆使して最終周でトップに立ち、見事に優勝したのです。
その様子を見ていたシェルビーは「帰ってこいつを額に飾るよ」と、投げつけられたレンチを懐にしまったのでした。
一人息子のビーター(ノア・ジュプ)と一緒に意気揚々と帰って来たマイルズを待っていたのは、困惑顔の妻・モリー(カトリーナ・バルフ)でした。
実は工場の経営は思わしくなく、税金を滞納して国税局に工場設備を差し押さえられてしまったのです。
マイルズは「レースをやめて経営に専念する」とモリーを安心させますが、見通しは立っておらず不安は隠せませんでした。
その頃、アメリカの巨大自動車メーカーであるフォード・モーターを率いるヘンリー・フォード二世(トレイシー・レッツ)は、停滞しつつあった経営状況を打開する為、画期的なアイディアを募ります。
そこで手を挙げたのが30代にしてフォードの副社長兼総支配人になった切れ者リー・アイアコッカ(ジョン・バーンサル)でした。
彼はフォードが作る車が古臭く、若者世代に受けが良くないことを指摘しました。
そして、彼らにアピールするためにレースに出場する事を提案します。
アイアコッカが目を付けたのはイタリアのフェラーリ社でした。
フェラーリはル・マン24時間レースを4連覇し全世界的なあこがれのブランドとなっているにもかかわらず、経営危機に陥っていたのです。
早速、イタリアに飛んだアイアコッカは「市販車部門はフォードが株の過半数を持つが、レース部門のスクーデリア・フェラーリはフェラーリが支配する」という条件で買収交渉を進めます。
途中までは上手く行くように見えましたが「レースに出るか否かの局面でフォードとフェラーリが対立した場合はどちらの決定が優先されるのか?」と言う質問に「フォードの意見が優先される」と答えてしまった事が経営トップにして創業者のエンツォ・フェラーリの逆鱗に触れてしまった為、そして今回の買収話を聞きつけたフィアットが、買収額を上げて再交渉を申し出てきた為に交渉は決裂してしまいました。
「ヘンリー二世は所詮二世。偉大な祖父には遠く及ばない」 意気消沈して帰国したアイアコッカからエンツォの言葉を聞いたンリー二世は激怒し「フォードの技術を結集し、ル・マンでフェラーリを打ち負かしてやる」と決意します。
そして、その指揮を任されたのがシェルビーでした。
ル・マン24時間耐久レースで、モータースポーツ界の頂点に君臨しているイタリアのフェラーリ社に勝てるレース・カーの開発は途方もなく無謀な挑戦です。
しかし、彼はオファーを受諾することにしました。
かつてル・マンにアストン・マーティンで参戦し、アメリカ人レーサーとして初めて優勝した経験を持つシェルビーの胸の奥底には、今でもレース界への熱い思いが燻っていたのです。
とはいえ、問題は山積みでした。
第一、次のル・マンまではわずか90日しか準備期間がありません。
その時、シェルビーが真っ先に選んだのはレース場で会った凄腕ドライバー マイルズでした。
自分が思い描いたのと同じレース運びをしたマイルズの腕をからは高く買っていたのです。
折しも修理工場の差し押さえで生活に困っていたマイルズは、モリーとピーターに背中を押されてチームに加わることを決意しました。
そしてフォードGT40をベースに史上最高のレーシング・カーを生み出す挑戦が始まりました。
レーサーであり、優秀な技術者でもあるマイルズは何度もテスト走行を繰り返し、改良を行い、より速い車を作り上げてゆきました。
しかし、妥協を知らず、フォード側の技術者のやり方市にも従わないマイルズの言動は次第にフォードのレーシング部門の責任者レオ・ビーブ(ジョシュ・ルーカス)の反感を買っていきます。
遂には扱いづらく、フォードに都合の悪い事でもマスコミに喋ってしまうマイルズを除外しようとするビーブにより、マイルズはレースから外すと決定されてしまいます。
「ギアボックスに十分注意しろ」と告げ、マイルズはチームを去りました。
果たしてレースでは、コースレコードをたびたび更新するなどフォードの実力が明らかになる一方で、マイルズの予想通り最大の不安要素だったギアボックスが壊れ続けて足を引っ張り、5連覇を達成したフェラーリに対し、フォードは全車リタイアという惨敗を喫してしまいます。
ヘンリー二世に対し敗戦の報告を行うためにフォード本社を訪れたシェルビーは、敗因を率直に、会長と現場の間に何十人もの人間が入り込んで横槍が入る体制のせいだと言い放ち「本気でル・マンに勝つ気があるのか」と迫るヘンリー2世にもひるみませんでした。
そんなシェルビーの態度に感服したヘンリー二世はプロジェクトを自らの直轄とし、再度シェルビーに仕事を任せる事にしました。
ル・マンへの再挑戦のためにマイルズの家を訪問するシェルビーだが、その都合の良い態度に怒るマイルズとの間で喧嘩が始まってしまいます。
しかし、レースを愛する気持ちは共通しており、二人は再び手を組むことになりました。
しかし、40歳代で言動も粗野なマイルズはフォードがターゲットとする若者にアピールする為のレーサー像とはかけ離れていました。
レーサー部門のトップとなったビーブは再びマイルズを外そうとします。
その事を知ったシェルビーは、フォードの経営陣が視察にやって来た際、ビーブを事務所に閉じ込めてフォード2世を開発中のマシーンに同乗させます。
そして、レーシングテクニックを駆使した運転によりフォード2世はフラフラになったところで、シェルビーが畳みかけました。
「この車をここまで仕上げたのはマイルズです。彼なしでル・マン優勝は有りえません」この直談判によりマイルズを守ることに成功しました。
そして「レース中のエンジンの回転数に至るまで全部自分が決める」というビーブの指揮のもとで、時には思うようなレース運びを妨げられる2人でしたが、屈することなく1966年にはデイトナ24時間レース、セブリング12時間レースという大レースで立て続けに優勝を勝ち取ってゆきました。
また、マシーンの開発が続けられる中で、夜中のテスト走行中に事故が起こってしまいます。
ブレーキが熱くなりすぎて効かなくなってしまい、スピードを制御しきれずにマシーンは路肩に衝突。
車体から火を噴いてしまいます。
マイルズは助け出されて無事でしたが、それを見ていたピーターの心には父親がレースで死ぬかもしれないという恐怖が芽生え不安な気持ちになってしまいます。
そして、いよいよル・マン決戦の日。
フォードはシェルビーやマイルズのいるチームを含め3組が出場しました。
マイルズが乗り込んだフォード1号車は、フェラーリとの壮絶なデッドヒートを繰り広げ、遂にはトップを奪取。
夜や雨を乗り越えてもマイルズの走りは衰えず、トップを独走し続けます。
そして、周回遅れながらも、続く2位3位もフォード社のチームが独占していました。
レースを観戦していたエンツォ・フェラーリも負けを認めざるを得ませんでした。
「フォードVSフェラーリ」ラスト最後の結末
ところが、ここで命令が下されます。
「マイルズは減速し、フォードチーム3台同時にゴールせよ」
フォードの車3台同時のゴールにより宣伝効果を上げると同時に、フォード2世のご機嫌取りも出来ると考えたビーブの策でした。
レーサーのプライドを踏みにじるような命令にシェルビーは猛抗議しますが効切れてはもらえません。
仕方なく、シェルビーはマイルズに命令を伝え、最後に付け加えました。
「どうするか自分で決めろ」
マイルズは変わらずに加速し続け、トップを走り続けました。
シェルビーもフォードの経営陣の文句を無視して見守っていました。
しかし、ゴールが近づいて来た時、マイルズはアクセルを緩めました。
マイルズのマシーンは減速し、やがて2位3位の車も追いつき、3台揃っての感動的なシーンで1964年のル・マンは幕を閉じました。
しかし、表彰台を飾ったのは、ずっとマイルズよりフォード車の別チーム マクラーレンの組でした。
より後ろからスタートした為にハンデが考慮され単独1位に繰り上がったのです。
まんまとビーブの思惑にはまってしまったシェルビーとマイルズは、何も言わずにレース場を後にしました。
その後もル・マンでの再戦を夢見てシェルビーとマイルズは速い車の開発を続けました。
しかし、ある日、テスト走行中の事故でマイルズが命を落としてしまいます。
レース場の脇で見ていたピーターは唖然とした表情で燃え上がるマシーンを見つめていました。
心の片隅で思い描いていた不安が現実となってしまったのです。
そして、事故から半年経ってもシェルビーは喪失感から立ち直れず、仕事にも身が入りませんでした。
ある日、かつてマイルズに投げつけられたレンチを返そうと彼の家に向かいました。
しかし、近くまで来て躊躇していた時、後ろから声を掛けられます。
振り向くと、そこにはピーターが立っていました。
ピーターを出迎えに玄関先に出てきたモリーも、そこにいたシェルビーに気が付きました。
彼らは以前と変わらない表情で接してくれて、シェルビーを責める事もしませんでした。
そんな態度にシェルビーは勇気をもらい、レースと車を愛する気持ちを思い出したのでした。
その後、マイルズはレーサーの殿堂入りを果たし、シェルビーは数々のレーシング・カーをデザインし続けました。
彼らの功績は今も「アメリカ車でル・マンに優勝したチーム」としてレース史上に燦然と輝いています。
THE END
「フォードVSフェラーリ」見どころ
1960年代、更なる飛躍を求めたフォード社の挑戦の陰にあった2人の偉大なる男達の物語です。
事の発端は、フォードがフェラーリを買収しようとして失敗したことが発端です。
しかし、何となくそんな空気はありました。
物語の途中でフォードとフェラーリの工場が映し出されます。
フォードの工場は汗と油にまみれた工員たちが流れ作業で車を黙々と組み立てていました。
対してフェラーリの工場はエンジン、ボディーと一人の行員が手作業で組み立てていました。
フォードはイメージ通りの「工場」で、フェラーリは芸術品を作り上げる「工房」と言う雰囲気でした。
これだけ会社の様子や作っている車に対する考え方違っていれば、反りが合うはずもありません。
案の定、レースに対する考え方の違いを悟ったフェラーリは一瞬で態度を硬化させて買収話を突っぱねてしまいました。
フォードは仲間ですが、体裁やコスト、利益を大切にするあまりレースに命を懸けるシェルビーやマイルズの気持ちを踏みにじる事もしばしばです。
それに対して、マイルズはレースの申し子のような人物です。
運転技術だけでなく自動車の構造にも精通し、その能力をフル活用して世界で唯一のレーシング・カーを生み出そうとします。
何よりもレースを心から愛し、子供の様にキラキラした表情をしていて、レースと車への愛情が全身からあふれ出していました。
彼の妻・モリ―や息子のピーターが、自動車とレースに全てを掛けるマイルズの情熱を支える姿もとても良かったです。
しかし、何と言ってもこの映画の醍醐味はレースの迫力や唸りを上げるレーシング・カーのエンジン音です。
特に劇場で見ると臨場感があり、爆音を体で感じられる程です。
レースで僅かなスキをついて相手を追い抜いてゆく時のスリルは手に汗握ります。
様々な事情により、マイルズやシェルビーの真っすぐな思いが通用しない事も多かったです。
「ドライバーのイメージが求めているものと違う」「もう年寄りでピークを過ぎている」
否定材料はいくらでもありました。
しかし、彼らはめげずにレース優勝を狙います。
本当にこれが実話を元にした物語なのかと驚くほどに、清々しく、胸を熱くしてくれる素晴らしい映画です。