映画「レッド・ドーン」は2012年、ダン・ブラッドリー監督、クリス・ヘムズワース主演の作品です。
この「レッド・ドーン」のネタバレやあらすじ、ラスト最後の結末とその考察について紹介します。
以下、重大なネタバレや個人的な考察を含みますので、まだ鑑賞していない方はご注意ください。
映画「レッド・ドーン」あらすじ
アメリカ、ワシントン州の小さな町。
海兵隊員のジェド・エッカート(クリス・ヘムズワース)は、休暇を使って故郷に帰ってきました。
弟のマット(ジョシュ・ペック)が出場するアメリカンフットボールの試合を見るためです。
マットが所属するチームの名前は「ウルヴァリンズ」でした。
しかしその夜、突然すべてが変わります。空には無数の戦闘機、地上にはパラシュートで降りてくる兵士たち。ジェドとマットの町は、あっという間に占領されてしまいます。
侵略してきたのは、北朝鮮の軍隊でした。ジェドはマットや友人たちを連れて山小屋へ逃げ込みます。父親(警察官)は自分を犠牲にしてでも息子たちを逃がそうとしますが、その後の展開で悲劇が待っていました。
生き延びた若者たちは、ただ隠れているだけでは終わらないと決意します。
自分たちのチーム名だった「ウルヴァリンズ」を名乗り、レジスタンスとして北朝鮮軍に立ち向かっていくことになります。
映画「レッド・ドーン」ネタバレ
以下、重大なネタバレを含みます。
父の死という大きな転換点
ジェドたちが山小屋に隠れていることを、仲間の一人であるピートが敵側に密告してしまいます。
北朝鮮軍はジェドたちの父親を人質にして、投降を呼びかけさせようとします。
しかし父親は、投降するのではなく「戦え」と息子たちに叫びます。
その直後、父親は指揮官に撃たれてしまいます。マットは飛び出そうとしますが、ジェドがその口をふさぎ、弟を守ります。
この場面が、ただの高校生たちが「本気で戦う覚悟」を決める、大きなきっかけになります。
伏線:もともと「ウルヴァリンズ」だったこと
実はこの映画には、とても分かりやすい伏線があります。
マットたちが所属していたアメフトチームの名前は、もともと「ウルヴァリンズ」でした。
戦いが始まってから彼らが自分たちに付けた名前ではなく、「もともと持っていた名前」をそのままレジスタンスの名前として使っている——これは、単なる偶然ではありません。「彼らは新しい何かになったのではなく、もともと持っていたものを、極限状況で見せただけだ」ということを、さりげなく示す伏線になっています。
兄弟の対立
物語が進むにつれて、ジェドとマットの間には対立が生まれます。
マットは恋人のエリカを助けるために、仲間に内緒で単独行動を取ってしまい、それが原因で仲間のグレッグが命を落としてしまいます。
ジェドはマットを厳しく叱りますが、マットは「母が亡くなったときに家を出て逃げたのはお前の方だ」とジェドに言い返します。
この場面で、「厳格なリーダー」に見えたジェドにも、実は過去から逃げてきたという弱さがあったことが明らかになります。
映画「レッド・ドーン」ラスト最後の結末
ウルヴァリンズは北朝鮮軍の通信機器を奪う作戦に挑みます。
ジェドは指揮官のチョウと直接対決し、父親の机に隠されていた銃を使って、最終的にチョウを倒すことに成功します。
仲間の元に戻ったジェドは、照れくさそうにマットの活躍を褒めます。兄弟の間にあったわだかまりが、静かに解けた瞬間でした。
しかし、その直後——ジェドは狙撃され、命を落としてしまいます。
実は、仲間のダリルの体には、知らないうちに追跡装置が埋め込まれていました。
それが原因で、アジトの場所が敵にバレてしまっていたのです。
兄を失ったマットは、深い悲しみを抱えながらも、仲間を率いて収容所を襲撃し、捕らわれていた人々を解放するところで、映画は幕を閉じます。
映画「レッド・ドーン」の考察
この映画を「北朝鮮という荒唐無稽な設定で若者が戦うアクション映画」として見ると、賛否が分かれる娯楽作品です。
しかし私はこの映画の本当の面白さは、ストーリーの中だけでなく、「映画そのものが辿った運命」の中にあると思っています。
「ウルヴァリンズ」という名前が持つ、本当の重み
先ほど触れた「伏線」——マットたちのアメフトチームの名前が、もともと「ウルヴァリンズ」だったという事実。これは単なる小ネタではありません。
普通、戦争映画で「レジスタンスの名前」が決まる時、それは「新しく決意した証」として描かれます。
しかしこの映画では、彼らは「もともと持っていた名前」を、そのまま引き継いでいるだけです。
これはつまり、「人は戦争によって別の人間になるのではない。もともと自分の中にあったものが、極限状況で表に出てくるだけだ」ということを、静かに語っているのだと思います。
マットが最後に兄の意志を継いで仲間を率いる姿も、「新しいリーダー」が誕生したのではなく、「もともとチームの一員だったマットが、名前にふさわしい人間になった」だけなのです。
「父→ジェド→マット」という、三代にわたるバトンリレー
この映画をよく見ると、「リーダーの死と交代」が二回繰り返されていることに気づきます。
まず父親が、息子たちのために命を落とします。その死をきっかけに、ジェドが本気のリーダーへと変わります。
そして最後、ジェドが命を落とし、その意志をマットが受け継ぎます。
「守る者から、守られていた者へ」——このバトンが二度渡されることで、「一人の英雄の物語」ではなく「受け継がれていく意志の物語」になっているのが、この映画の本当の骨格だと私は考えます。
ジェドが最後に死んでしまうのも、悲劇のためだけではなく、「マットが本当の意味でリーダーになるためには、ジェドが退場する必要があった」という、物語上の必然だったのだと思います。
映画の「外側」で起きた、もう一つの「レッド・ドーン」
ここからが、私がこの映画で一番面白いと思っている部分です。
実はこの映画は、当初は中国を敵国として製作が進められていましたが、中国マーケットへの配慮から、公開直前になって敵国が北朝鮮に変更されたことで知られています。
つまり、この映画自体が、撮影後に「大きな力(中国という巨大市場)の顔色をうかがって、内容を変えさせられた」という経験をしているのです。
これは、映画の中でウルヴァリンズたちが直面していたことと、驚くほどよく似ています。
彼らは「自分たちより圧倒的に強い力」の前で、抵抗するか、従うかを迫られました。
そして映画を作った側も、「巨大な経済力を持つ市場」の前で、内容を変えるという選択を迫られたのです。
「フィクションの中で描かれた”強い者には逆らえない”という構造が、その映画が作られる過程でも、そのまま繰り返されていた」・・・これは狙って作られたものではなく、まったくの偶然だと思います。
しかし偶然だからこそ、「この映画が伝えたかったテーマは、映画の外側でも証明されてしまった」という、なんとも皮肉な深みを感じずにはいられません。
結論:「レッド・ドーン」は「名前と意志は、本人が思っている以上に、静かに受け継がれていく」ということを教えてくれる映画だった
なぜこの映画は、多くの死や別れを描きながらも、最後に希望を感じさせるのでしょうか。
それは、「誰か一人の力」で物語が終わらないからだと思います。
父の意志はジェドに、ジェドの意志はマットに、そしてチームの名前は仲間たち全員に、静かに受け継がれていきました。
「大きな力の前では、個人はとても小さい。しかし名前や意志は、その個人が消えた後も、次の誰かの中で生き続ける」・・・レッド・ドーンというこの映画が、賛否ある設定にもかかわらず今も語られ続けているのは、この「受け継がれていくものの強さ」を、私たちがどこかで信じたいと思っているからかもしれません。
評価:★★★☆☆(3.2/5.0)
「ウルヴァリンズという名前は、戦争が生んだ名前ではなかった。もともと彼らの中にあったものが、極限状況で引き出されただけだ。そして皮肉なことに、この映画自体も、撮影後に大きな力によって内容を変えさせられるという、作中とそっくりの経験をしている。フィクションと現実、その両方で同じテーマが証明されてしまった——それこそが、この映画の一番の見どころなのかもしれない。」
こちらもアメリカの戦争映画です。

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